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管理人コラム

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『ワインで考えるグローバリゼーション』を読んだ

カテゴリー:本・テレビ

2016-02-03

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『茶文化学』を読んで、「茶」の伝播に関わる驚きを書いた時に、これを「ワイン」に置き換えるとどうだろう・・・ということで買ったのが『ワインで考えるグローバリゼーション』という本だ。山下範久著。

さて、この本は、表題通りの内容で、グローバリゼーションがテーマである。従って「伝播」はテーマではな。グローバリゼーションというのは日本語にすると国際化ということになってしまうが、もう少し噛み砕くと、世界中で産品が共有できるようになるということであり、世界のどこでも、他の国のモノが手に入るようになることである。

対極にあるのは、一番突き詰めると自給自足とか地産地消である。グローバルという視点でいうと国産国消かも知れない。

ワインにせよお茶にせよ、最初はそれを飲む人の住んでいる場所の近くで、あるいは自分の管理する土地で作って自分たちで飲んでしまっていた。それが、もう少し進むと、ワイン産地とか茶処というのが出来上がる。そして作っている人たちがそれを他の場所に売るようになる。他の場所と言っても、フランスならフランス国内とか、日本なら日本国内というレベルに売られ(運ばれ)、消費される。

更に進むと、それが国と国の取り引きに発展する。先に書いた「茶」の伝播の驚きは、「茶」が産地以外の土地で必要不可欠なほど普及し、それを運ぶために茶葉の路なるものまで出来てしまったというところだった。

さてワインはというと、もちろんシルクロードを通って遠く日本まで運ばれたワインもあったし、鉄砲などと一緒に海路日本にやってきたワインもあったが、日本でそれが生活の中で欠くことのできない存在にまではならなかった。茶葉に比べたらワインは重いので、運搬の面では不利だ。

■ ワインが茶と違うところ

ワインの路はあったのか? 結論から言うと気の遠くなるほど長い道は無かったというべきだろう。ワイン=ぶどうの果汁を発酵させた酒は、ぶどうの育つあらゆる場所にあったに違いない。しかし、大規模なワインの伝播・拡大はローマ人の移動とともに始まり、彼らの多くは移動先でぶどう園を作って現地でワインを造るようになる。つまり人の移動(しかも住む場所を移動する)とワインの伝播が平行しているのだ。移動先でもぶどうが栽培可能だったこと、そしてワインは重く、大昔はアンフォラという陶器の甕のようなものにワインを入れて運んだので、重いわ割れやすいわというシロモノだったから、遠くから運んでくるより自分たちで作る方が良かったのだろう。

木の樽はローマ人が現在のフランスにたどり着いてからワインの貯蔵や運搬に使われるようになったものだそうだ。

中世になり、イタリアやフランスで大量にワインが造られるようになったあと、ワインを運ぶという点では、ボルドーのワインをイギリスへ運ぶのが代表的といえる。しかしボルドーとイギリスは目と鼻の先だ。

■ フィロキセラ禍が招いた新しい土地でのワイン造り

19世紀にヨーロッパで起こったフィロキセラ禍は、多くのぶどう園を壊滅状態にした。この事件が引き金となって、アメリカ大陸やオーストラリアなどの新たな地でのワイン造りが加速する。

日本に輸入されるボトルワインの量において、チリがフランスを抜いたというニュースは普通のテレビのニュースでも流れたので、当然ご存知のはずだ。こと日本に限ってはやっとそういう事態になったわけだが、本家と自認するフランスやイタリアはもっと早くから新世界と呼ばれるチリやアルゼンチンに脅威を感じていただろう。

この本では、そのあたりの事が中心に語られている。フィロキセラ禍のあと新大陸に渡ってぶどう園を始めてもすぐにワインはできない。それに二つの世界大戦があり、結局落ち着いてぶどう園の経営をしたり輸出ビジネスをできるようになったのは戦後の事だと思う。1980年代ごろ、一方では新世界ワインというのが日本でも話題になり、時を同じくしてイタリアワインや、フランスならラングドックなどのワインの品質が格段に上昇した。

これは必然だという。だって、安いバルクワインなら新世界の方が安いのだから、安物を作っていたのではヨーロッパのワインは負けてしまう。高付加価値化は生き残りの道だった。

もう一つ。そうした新世界では、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネなどのメジャーな品種が植えられたので、同じぶどう品種で造ったワインというだけでは差別化ができない。そこで本家?のヨーロッパではワインそのものの美味しさ以外の部分にありがたみを持たせる必要性が出てきた。それがテロワールという概念だ。同じ品種のぶどうでも、テロワールが違ったら別物なんだよという付加価値を押し出したのだ。

この本には、それ以外にも興味深い分析が散りばめられており、また著者は本当にワインがお好きで、身を以て体験も重ねておられる上に、国際関係学という専門分野の知識や哲学的な知識も豊富、かつ文章もテンポ良く、楽しく読める本だった。

■ インドという新世界茶の出現に負けた中国茶

茶葉の方でも、イギリスがインドやセイロンで大規模なプランテーションを営むようになると、本家の中国茶は急激に力をなくし、売れなくなったそうだ。売れても値段を叩かれた。

昨今の日本の家電なども同じ事。新興工業国から供給される安い家電に負けてしまった。

多くの産業が、グローバリゼーションの中で、同様の憂き目にあっている。また、そうなった時の旧陣営の対応方法も結局は同じようなものだ。


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恐るべき「茶」の魔力・・・はたして「ワイン」の魔力は?

カテゴリー:本・テレビ

2016-01-22

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しばらくこのコラムを書いていなかった。書きたい事がなかったのだ。イマイチ盛り上がりに欠けた年末年始のワイン。そして、発信される色々なワイン関連のニュースを見ても、ピンと来るものが無かった。

というワケで、今回は今読んでいる『茶文化学』主編:徐暁村(シュー・シャオツン)から知り得た「茶」の、それも、中国から海外への「茶」の伝播に関わる驚きに触れてみたいと思う。

■ 何故そんなに「茶」が広まったか、不思議に思いませんか?

私は物心ついた時には既に生活の中にお茶があり、何故お茶を飲むのかなんて考えたこともなかった。多くの日本人は私と同じ感覚だと思う。(しかし、もう随分前に、私と同い年の人が、家では水とコーヒーしか飲まないと言っていた)

しかし、日本だって、庶民が日常的にお茶を飲むようになったのはそんなに古いことではない。大正末期から昭和初期の事だそうだ。但し、日本にお茶が伝わったのは、9世紀のことで、永忠や最澄が中国に留学して茶の種を持ち帰った時と言われている。その後、20世紀になるまで「茶」は特権階級やお金持ちの飲み物だったワケだ。

インドなどで飲まれる「チャイ」も、英国などで飲まれる「ティ(紅茶)」も源を辿れば中国なのだ。「チャイ」にしても「ティ」にしても、それぞれの国では極めて日常的に当たり前のように飲まれているが、それほど多くの人々を魅了する「茶」とは一体何なんだろうか? もちろんコーヒーにも同じような事が言える。

単に渇きを癒したり体を温めるだけなら水や白湯でいいわけで、それ以上のプラスα、例えば気分が落ち着くとか、反対に高揚するとか、さっぱりするなど、無意識のうちに気分が良くなる効果が「茶」や「コーヒー」にはあったのだろう。

■ 茶の伝播ルートの中で驚いたのが「茶葉の路」

「茶文化学」で紹介されている中国から外国への茶葉の伝播ルートは大きく分けて4方向ある。

①東向き: 唐・宋の時代の朝鮮半島・日本への伝播
②西向き: シルクロードと茶馬古道を経由した中央アジア・インドへのルート
③北向き: モンゴルからシベリアを経由する「茶葉の路」によるロシア・ヨーロッパへのルート
④南向き: インドシナ半島から海路によるアフリカ・ヨーロッパへのルート

この中の①や④は、結局伝わった先や途中で茶が栽培されるようになるのだが、②や③は中国でできた茶葉の貿易が中心である。中でも③の「茶葉の路」は、その名が表すように「茶」が通商で取り扱われる商品の中核を成していたというところが驚きである。

茶葉の路が形成されたのは17世紀の半ばで、1679年に中露両国が『ネルチンスク条約』を締結し、貿易関係を樹立したことに始まる。当時の中国は清の時代である。但し、最初の頃、茶葉はそれほど重要な商品ではなかった。

その後いろいろあって、1850年には、このルートで中国から輸出される輸出額の75%が茶葉になったというから驚きである。(このルートというのは、北京 → 張家口 → ウランバートル → キャフタ)

キャフタというのはバイカル湖の南、現在のモンゴルとロシアの国境のロシア側にある都市である。キャフタで取引された茶葉は、シベリア地方や最終的にはモスクワまで運ばれたそうだ。私たちが今イメージできるロシアのお茶と言えば、紅茶にジャムを入れて飲むジャムティだが、1850年の頃にはどんな飲み方がされていたのだろうか? まだ調べ切れていなくて私は把握できていない。

ちなみにこのルートでは中国側の貿易黒字がどんどん貯まったという。ロシア側が輸出できるのは毛皮類が中心だったようなので、飲めば消えてしまうお茶と長持ちする毛皮での差が出てしまったのだろうか。

■ 200年足らずでロシアでの市民権を得た「茶」

1679年から1850年まで、約170年である。その間にゼロに等しかった茶葉の対露貿易が、総貿易額の75%を占めるようになるとは、これを「茶」の魔力と言わずして何と言えばいいんだろう? 

ともかくそこまで貿易量が増えたということは、最早お茶がお金持ちだけのものではなくなったことを示している。

そして、「茶葉の路」という国際幹線道路までできてしまったワケだから、その力は大したものではないか。その後、海運が発達することで陸路である「茶葉の路」は運賃が高くつくためにその役割を終えたげれど、この道は現在も幹線道路として残っているようだ。

■ ワインにも「ワインの路」があるの?

当然そんな疑問が湧いてくる。そこで私は『ワインで考えるグローバリゼーション』という本を読むことにした。読んだらまたここで紹介したいと思う。


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ぶどう品種の本 Le Goût des cépages

カテゴリー:本・テレビ

2014-07-02

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信頼できてコンパクトなぶどう品種の本ではないか? と想像して買ってみました。

Le Goût des cépages

hachette vinsの発行です。
128ページ・フルカラーで9.9ユーロ。
紀伊國屋書店からの取り寄せで、送料込で1758円でした。

期待していたよりは内容は凡庸ですが、フランスのみならず、世界中での各品種の栽培について書かれている部分は興味深いです。


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書籍「ワインと修道院」より ~簡単な歴史~

カテゴリー:本・テレビ

2014-06-17

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修道院の歴史とワインの歴史をざっと抜き書きしてみます。

271年頃  最初の修道士・コプト教徒の聖アントニオスが、他の隠修士とともに共同生活を始める。隠修士とは個人で修業をする人のこと。場所はナイル川と紅海の間に広がる小高い荒野だった。

372年   最初の西欧の修道士・マルティヌスが、トゥールの司教になる。マルティヌスはぶどうを栽培したことでも知られている。
     ワインは、聖餐の儀式に使われる他、薬として、また日常の飲み物としても使われた。
     
400年半ば パコミオスが修道院戒律を著す。当時には千人を越える修道士の集団がいくつもあった。

480年頃  西欧の修道士の父と呼ばれるベネディクトゥス誕生。彼は『聖ベネディクトゥスの戒律』をまとめた。この戒律の中で、「手の労働」の重要性が示され、またワインの飲用量についても言及されている。
     修道院は修行の場であるとともに、布教の基地でもあり、巡礼者や旅人に宿を提供したり、病院の役割も果たしていた。

     『聖ベネディクトゥスの戒律』に基づく修道活動を展開するグループがベネディクト会で、ヨーロッパ全土に活動を広げていった。この活動の展開とともに、ぶどう栽培やワイン醸造の技術も広がった。

     シャンパーニュの中心地ランス、ブルゴーニュ地方のボーヌやクリュニー(写真)、ロワール地方のアンジュなど、今も銘醸地として知られる場所にベネディクト会の修道院が設置されていく。

12世紀  シトー会の拡大が始まる。シトー会は戒律を厳格に守る禁欲的な会派で、非凡な聖ベルナールの加入によって飛躍的に拡大した。

     シャブリやクロ・ドゥ・ヴージョはシトー会がかかわった有名なワインである。

     一方同じ12世紀には、騎士修道会も生まれた。騎士修道会は戦う修道士の会で、戦うためには十分なワインを飲む必要があるとしていた。

     テンプル騎士修道会、ヨハネ騎士修道会など多くのグループがあり、パレスチナ、レバノン、キプロスなどの地中海の島にも本拠地が置かれた。また、ブルゴーニュで既に開かれたぶどう畑を購入したりもしている。

17世紀  かの有名なドンペリニヨンがシャンパーニュ地方のエペルネ―近くにあるオーヴィレール大修道院の総務長になる。かれはここで、ぶどう栽培とワイン醸造の大改革を実施。これが今日の強く泡立つシャンパーニュの始まりとなった。

16世紀~18世紀  宗教改革やフランス革命などの影響で、多くの修道院が解体されていく。修道院が保有していたぶどう畑は競売にかけられた。地域によっては、建物も破壊され、ぶどう作りに終止符を打った場所もある。しかし、ノウハウが継承されて今も銘醸地として知られる産地が多い。


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書籍「ワインと修道院」

カテゴリー:本・テレビ

2014-06-16

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この本の著者はデズモンド・スアード、訳は朝倉文市・横山竹己である。著者はパリ生まれのイギリスの歴史家とのこと。

実はまだ先週の土曜日に図書館で借りてきたところで、読み始めである。なぜこんな本を読もうと思ったかというと、ワインと修道院が切っても切れない関係にあるからだ。だとしても、こんなマイナーな?本の日本語訳が出ているとは驚きだし、また、それを所蔵している大阪私立図書館もすごいと思う。こんな本まで取り揃えていたのでは、予算がいくらあっても足りないだろう。もしかしたら購入したのではなくて、寄贈されたものだろうか?

ざっと見た所、ワインの普及と発達に寄与した修道院の話が網羅されており、地域で言うとヨーロッパとアメリカ、時代で言うと修道院の発生から現代までを扱っている。値段が税を含めると4000円を超えるので、今回は借りるという手段をとったものの、参考書として買ってもいいかと思うくらいの書である。

内容の詳しいところや感想は、またあらためて別途書こうと思う。


タイトルINDEX

(本・テレビ)



2016-02-03
『ワインで考えるグローバリゼーション』を読んだ


2016-01-22
恐るべき「茶」の魔力・・・はたして「ワイン」の魔力は?


2014-07-02
ぶどう品種の本 Le Goût des cépages


2014-06-17
書籍「ワインと修道院」より ~簡単な歴史~


2014-06-16
書籍「ワインと修道院」


2014-04-26
書籍「英国一家日本を食べる」


2013-09-02
古いワイン本の選別 「ブルゴーニュ ~ブルゴーニュワインの決定版ガイド~」


2013-09-01
古いワイン本の選別11 「ボルドー 1961年以降生産されたワインの決定版ガイド」


2013-08-12
古いワイン本の選別10 「ワインの話」


2013-08-09
古いワイン本の選別9 「オズ・クラークのポケット・ワインブック」



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